2011年03月14日

発展途上国での(無)計画停電

もし心配して下さっている方がおられるとしたら…と思い、ブログ更新します。3月11日の震災で帰宅難民となりましたが、私は無事です。混乱の続く被災地の皆様にお見舞い申し上げます。

今回東京の職場で感じた以上の揺れを阪神で経験したことがあり、命の危険は感じませんでした。アフリカで何度も(無)計画停電を経験しており、たかだか1日あたり3時間の停電を怖いとは思っておりません。※現在、首都圏は過去に経験したことの無い停電騒ぎでやや混乱しています。

ただ、交通機関が気まぐれ(悪意的にとらえてしまいます)にしか動いてくれないので、通勤に片道3時間以上かけています(駅も人で溢れていて、入場制限で順番待ちという状態です)。私の過去の体験談を踏まえた情報をどんどん発信したい気持ちはありますが、あまり時間が取れないのでご容赦下さい。

会社勤めを続けるということは、色んなことを辛抱するということです。今回のような非日常の惨事が起こると、そのたがが外れるようです。人間の弱い部分、汚い部分を見聞きしながら過ごしました。少しでも不安な気持ちをやわらげることが出来れば…と、落ち着いて温かい対応に徹することを心がけました。それが出来たのも、私にとっては初めての経験ではなかったからだと思います。

発展途上国では(無)計画停電は日常茶飯事でした。初心者のうちは、コロコロ変わる情報に振り回されて、くたびれたり怒ったりうろたえたりしていました。出来る限りの準備をしたら、あとは無計画に起こる停電に対応するだけになるはずです。

水満タンのペットボトルを丸ごと凍らせておいた物を冷凍庫から1個取り出し、停電になれば冷蔵室で特に冷やしておきたいもの(バターとか牛乳とか)を一箇所にまとめた所の上に置くとか。デリケートな家電の電源プラグを抜いておいて、通電した時に過大な電流が来て家電を傷めることを防ぐとか。首都圏の冬で3時間程度なら、冷蔵庫の扉を開けない限り影響は少ないとは思いますが。

説教臭いことを一つ書かせて頂くとすれば、夜間の停電の注意点についてでしょうか。ロウソクも懐中電灯も品薄で入手出来ていない方もおられるでしょう。とりあえず、足元が見えなくて転んで怪我することだけは防ぎたいもの。突然真っ暗になっても手が届く所に携帯電話など光る物を持っておくと、停電になるのが怖くなくなると思います。私は首からペンライトを提げておりますが。満月の晩だとカーテンを開けることで足元が照らされるかも知れませんね。…発想が熱帯っぽくてすみません。冬の停電時には室内でも厚着することで暖をとって下さい。
posted by サウンジャ at 22:59| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月06日

彫刻みたい

我ながらくどい文章を書いているとは思います。最近は特に半分フランス語(まがい)表記だったり、料理レシピだったりするので何のブログなんだかわからなくなりそうなので。『元海外駐在妻の目線で振り返るブログなんですよ!』って強調しています。

普段もくどい話し方をしがちです。『主人にもよく言われることですが…』とか、『主人もそうなんですが…』とか、自意識過剰と思われようとお構いなしに。テレビで放送された時はもちろん、その手の余計な枕詞はカットされていました。無い方が話がスムーズにつながるのは確かだとは思います。無かったセリフを付け足すと不自然になるので、削って削って作り上げるもののようです。※別に独身のフリをして欲しかった訳では無いのだそうです。

アフリカで(←また強調・笑)どこでも同じとは限りませんが。首都で比較的観光客がよく通る場所に、もちろん許可なんて得ないで道端で商売をしているおじさんが居ます。主人はその国が気にいり始めた学生の頃からお世話になっていたそうで、お気に入りのおじさんも居るようです。

選び方のコツって言うほど大げさな物でもありませんが。そのスタンプ作り職人さんの腕は、見本として押してある印影が上手に彫れているかどうかで見ます(当たり前)。中央に掘られている綺麗な絵、数種類から選んだ上で、絵の周囲に彫る文字を指定します。会社の銀行印とか代表印(実印)みたいな形です。その注文をしてから1時間ぐらいしたら彫り上がっているので、お金を払って特注スタンプを受け取る仕組みです。

主人が学生の時は大学名を漢字で紙に書いて、この通りに彫ってくれという無茶な注文をしてみて、上手く作ってもらえたそうです。帰国間近だった私たちはワガママを自粛する程度に大人でした。アルファベットで充分です。メールアドレスを彫って欲しいと注文しました。普段からアルファベットで読み書きしてるんなら楽勝でしょう?出来上がりを楽しみに待ちながら観光して戻って来ると…。

『チ』を『ti』って書くのは日本人だけですか?『chi』って彫られてしまっていて、それではメールアドレスの告知効果が無いのでクレームをつけました。もったいないけど、もう一つ作り直し?何分ぐらいでちゃんとしたのを用意出来るのだと聞いてみると、思ったより早かったです。いいから早く行け、と。

それで、どう手直ししたのかは見てなかったのですが。『chi』だった部分が若干間延びした『ti』に直っていました。彫刻だから付け足すことは出来ないと思いますし、職人芸を駆使して下さったのでしょう。もし世界のどこかで腕のいいスタンプ職人さんを見かけたら、注文してみて下さいね。
posted by サウンジャ at 23:28| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

海外帰り=ヘンな訳

サウンジャの声、NHKで初公開中です。主人のお母さんから早速お電話を頂き、緊張していたのよね…的ななぐさめの言葉を頂戴しました。見た目ほど緊張してなかったんですけど…。オンエアを見てみると、やはり芸人さんとか声優さんとか女優さんとかミュージシャンとかしてきた方の声はとても聞き取りやすいですね。そんな中でも素人がよく頑張りました>自分に励まし。

主人のおばさまの嫁ぎ先のご主人のお母様まで、先週の声なし出演をテレビでご覧頂いたのだそうです。親族の範囲を越えての番組宣伝に恐縮しております。※親族=3親等内の姻族及び6親等内の血族(私は3イン6ケツという語呂合わせで暗記しました)

収録の一部始終を見ていない立場の視聴者目線での感想速報も主人のお母さんから伺いました。『なんかヘンな話だなと思ったんだけど…。』確かにヘンかも知れません。番組の中で海外駐在の話は出て来なかったのですが、帰国子女やら元海外駐在員夫人やらが何人も居ました(私も隠れ元駐在員夫人ですが)。そのへんの説明が省かれたから違和感を与えてしまったようです。

番組をご覧になってヘンと感じた方のために余計なお世話的な解説。小学生の作文の中に、やたら隊長とか中尉だったか少佐だったか(興味のないジャンルの用語にうとくてすみません)やらが出てくる違和感。それは、軍隊を持つ国に住んでいたからこそ出てくる単語だったんですって。主人が番組を首かしげながら見ている横で、同時通訳のように、『インターナショナルスクールだったか日本人学校だったか忘れたけど(またまた興味が薄くてすみません)、海外の学校に通っていたからなんだって。』と、解説し続けて、今は喉が痛いです。

この解説を飛ばしてしまうと、『ヘンな作文を書く小学生だったんだねー』って思われてしまうでしょう。海外旅行なんて贅沢な趣味持ちません&仕事の特権で海外に行くなんてとんでもない!…っぽい、庶民的(=いい人?)な集団という役割を出演者たちは担うことになったのかも知れません。全員の個性を強調すると番組として統一感がなくなるので、一律そういう色を付けることにされたのでしょう。

『自分はこんな人なんです!』とか、主張したいことがあれば、自分でサイトを立ち上げるなりして自分の管理するところで好きに書くなり言うなりすべきなのかも知れませんね。私はどんな人?『この人、海外帰りだから変わっていらっしゃるの。』…とでも解説してもらわないと、『何かよくわからないけどヘンな人』って言われるような人みたいです。テレビに映る自分を見て初めて気付きました。※実際は海外帰りでもヘンに見えない人の方が多かったですが、軽く言い訳させて頂きました。
posted by サウンジャ at 23:32| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

NHKで共演する皆様

当ブログのアクセスが微増しているのは、先日の収録でご一緒した方々のお陰でしょうか?『サウンジャ』という名前しか出していなかったので、この手のブログを書いているとは思われていなかったと思います。なぜそんな名前なのか?どなたにも興味持って頂けなかったようですが、メイドさんの名前を借りたといういきさつがあります(聞かれてないのに答えておきます)。

オンエアがだいぶ先のことなので今から告知するのも時期尚早ですが。NHK BS2の『熱中スタジアム』という番組に出演します。だいぶ先…2月18日と2月25日、いずれも金曜の22時〜22時59分です。私がよく喋るのは25日放送分になると思います。それまでに我が家も地デジ化しておくべき?自分の喋っている部分はせっかくなので録画しておきたいものです。日焼けサロン常連客に負けないぐらい、アフリカで(日焼け止め塗って抵抗したのも空しく)ゴン黒に焼いてきた私も、日本の一般人並みの肌色に戻りました。

美人の共演者が多くて感動しました。収録後に知ったことですが、結構、海外帰国子女とか元海外駐在員夫人って多いみたいですね。あまり、『私、海外帰りですので…(無礼でも許してね)』ってことを主張されないので、全然気付きませんでした。それが、『感じいい人だな〜』って思える理由だったのかも?

ご家族の転勤等の都合によって数多くの引越しを経験され、その都度、環境が変わることを前向きに受け止めて楽しんでおられる方がたくさんいらっしゃいました。逆らえない運命に乗っかってイベントとして楽しむ姿勢、私も見習わなければならないと思いました。
posted by サウンジャ at 17:22| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月03日

突然未亡人になった人

有給を消化するため、退職日まで主人は家に居ました。社内で一緒にお仕事をしてきた先輩方には挨拶してましたが、それ以外の方には連絡して居なかったそうです。それで、主人の会社用アドレスにメールが来ていても見ることが出来ませんでした。

そのことに気付いた元上司が、CCに主人の会社用アドレスが入っているメールを自宅用メールアドレスに転送して下さいました。『うそっ!』と、突然主人が叫んだのです。英文メールでしたが、そんなに難しい表現は使われていないので辞書を使わなくても理解出来ました。

私たちがアフリカに住んでいた時に主人と一緒に働いていた第三国出身駐在員さんが、別の発展途上国に単身で赴任したのは最近のことです。マラリアに罹患して亡くなった旨、奥様からのメールが一斉送信されていました。『俺が紹介してなかったら行ってなかったのに。』主人はうろたえていました。

私が救急病棟に運ばれるような食中毒になったと聞いてすぐに、『私の主催するクリスマス会のせいで奥様が病気になってしまい、すみませんでした。』ってメールを送ってきて下さった方です。もちろん主人はその時、『どうぞお気遣いなく。1日でケロッと治って妻はもう元気ですから。』ってすぐに返信したそうです。

今回、『私がお仕事を紹介したせいでご主人が亡くなってしまい、すみませんでした。』って送ったとしたらどうなるのか。『彼が神様の所に召されたのはとても悲しいことですが、私は彼のことを思いながら強く生きていきたいと思います。』って書いている奥様が気を遣って、『全然気にしないで下さい。私は一人で生きていけますから。』って返信しなくちゃいけなくなるとしたら、それも大きな負担でしょう。

色々考えた挙句、つたない英語で無難なお悔やみを書くことにしました。代われるものなら代わってあげたいぐらい、感じよくて人柄もよい人でした。司法解剖も済んだあとで生き返るなんてことありえませんし、奥様が強く生きていくと言っているのに他人の私が後を追うなんてトンチンカンなことをしたら迷惑なだけですが。なんで彼が死ななくちゃいけなかったのか。ちっとも信仰深くない私は、『神様は不公平だ!』ってののしりたくなってしまいました。

残された奥様が最後にご主人に会ったのはいつだったのでしょう?最後にご主人の声を(かなりのタイムラグがある国際電話で)聞いたのはいつだったのでしょう?どんな気持ちでご遺体と対面なさったのでしょう?想像すると、胸がつぶれそうになります。

オチのない終わり方になってしまいました。でも、これが発展途上国駐在員の現実です。
posted by サウンジャ at 20:03| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

マラリア

日本人には馴染みが薄いかも知れません。太平洋戦争中、10万人ぐらいの日本人が南方に出征してマラリアで亡くなっていたはずです。食糧の補給もされずにジャングルを歩き回らされて体も弱っているのですから、無理もない話ですが。敵兵と討ち合ってではなく戦病死したということを不名誉と考える動きも当時はあったようで、詳細を語られるのを聞く機会がありません。

マラリアという病気は昭和時代の昔話ではなく、アフリカでは現在もよくあります。あまりによくあるので、又、時々死なずに済んだという話を聞くので、日本でありがちなインフルエンザ程度の病気と認識されてしまいがちですが、違います。命に関わる病気です。

主人と一緒に働いていた日本人駐在員さんで、マラリアに罹患して何とか生き延びた方がおられました。その方の血中にはマラリア原虫が残っていて、時々調子が悪くなってグッタリなさっていました。そんな血が輸血されると大変ですから、マラリア流行地と指定される国から帰国して1〜3年たってない人は日本で献血出来ません。

市街地より田舎に多く生息すると言われるハマダラ蚊。コレがマラリアを媒介するそうです。夕方までは活動しないらしいので昼間は平気ですが。夜勤の門番たちは真夏でも長袖長ズボン姿でした。『こうしてると蚊に刺されないから』って言っていました。住んでいたのは市街地で、発症例は聞かなかったのですが、現地の人でも用心していたようです。

私は足の先を刺されないように夜間外出時には靴下を履くとか、それなりに抵抗してきました。主人と一緒に働いてきた皆さんも、それなりに色々抵抗する手段を持っていたはずでした。…大した手段は講じてなかったかも知れませんが。駐在中に仲間が病死するという経験がなかったのは、日本ではマラリア流行国と指定されてはいるものの、駐在地ではマラリアが流行していなかったせいです。

特に主人と私が居る間は、天災で多くの尊い人命が奪われる…ということがたまたま無く、誰も病死せず、治安もたまたま良い時期で、発展途上国に住みながら先進国に居る時のような気楽さで過ごしてきました。知っている人が殺人事件の被害者になるという事件は確かにあったけど、『他社は他人から恨まれるような商売の仕方をすることもあったのだろうから、この国では殺されるかも知れないな。でも、ウチは周囲から好かれる企業だから大丈夫。』って思っていたのです。

人は必ず死ぬという事実を、見つめていなかったのでしょう。そして、発展途上国は生命リスクが高いという事実を忘れていたか、わざと見ないようにしてきたのでしょう。或いは、『絶対に無事でいられるはず』って思いこむことが、無事の帰国を祈ることにつながると思っていたのかも知れません。
posted by サウンジャ at 23:42| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

最後の挨拶

ブログの最終回はあと1〜2回書いてからになるとは思いますが。

主人が入社以来(地方の営業所に居た期間を除いて)ずっと関わり続けたアフリカの事業も、売却先が決まり、うまく(?)撤退出来ました。東京本社での残務と言っても、そう多くはありません。仕事が少なくなってくると会社のメールで昔の仲間と連絡を取り合ったりすることもあります。

第三国から駐在していてアフリカで一緒に働いていた方から英文メールが来たそうです。『仕事がなくて困ってます。いい話はありませんか?』共にご一緒して働いていた契約社員さんは出発したばかり。現在の身分が会社員とは言うものの、主人もするべき仕事がなくて困っていますが。先方は生活がかかっていてもっとお困りなのでしょうから、資格を活かせるお仕事を斡旋してくれそうな方にメールを打って相談してみることにしたそうです。

振り返ってみると、事務職のサラリーマンっていい身分でしたね。

するべき仕事がほとんど無いと言っても、部が閉鎖されるタイミングは春です。日本の企業ですから。部の閉鎖にあたり、一部の人は似たようなことをしている部の中に入りました。一部の人は全然違うことをしている部の中に入りました。主人を含む一部の人は、入る部がありませんでした。

アフリカの事業から撤退するというだけでも悲しんでいたのに、10年以上慣れ親しんできた会社を出なければならないのですから、かなり落ち込みました。家庭から笑いも消えました。『資格さえ持っていれば良かったのにな。』第三国の駐在員さんにいいお仕事が見つかって、別な発展途上国に単身赴任することになったという連絡を受けて、羨ましく思ったりもしました。…それでも、新しく資格を取ろうとかしなかったんですけど。

その3月、全国の支社の方たちも本社に集まって大きな会議をする日に、4月以降異動になる人が順番にお別れの挨拶をすることになりました。私がとても心配していたのは、暗い気持ちをみんなの前でぶちまけて八つ当たりして感じ悪く去って行くんじゃないか…ということでした。『今更、人事が変更されるなんてこと無いんだから、みんなに文句を言っちゃダメよ。』

『この事業に関わることが出来た私は幸せでした。』っぽいことを言ってネガティブ発言をせずに終えることが出来たそうです。あとで聞いてホッとしました。この時すでにメンタル面のケアや経済的な負担を覚悟してはいたのですが…これほど苦しむとは思ってませんでした。私も考えが甘かったのですね。
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2010年08月31日

契約社員さんと再会

私たちが海外駐在を終えてから何年かたちました。噂によれば、契約社員さんたちの多くは事務的な清算業務で残っている正社員の駐在員より早く帰国して、すぐに別なお仕事に呼ばれて行ったのだそうです。工業高校などで若いうちから技術を学んだ人は強いなぁと思いました。事務しか出来ない上にコレと言った資格無しとなると、再就職は非常に厳しいというのが日本の伝統です。

駐在をしていない間は地方に住んでいるという方で、次の仕事に行く前に東京で一泊するから久しぶりに会いましょうと言ってきて下さった契約社員さんが居ます。アフリカでは主人をとてもかわいがって下さいました。主人をかわいく思って下さったからこそ、私にも優しかったです。再会はとても楽しみでした。

とても楽しみでしたが、少しイヤでした。駐在していた頃の私は若くて元気がありました。その後、ただ老けて元気がなくなっただけのオバサンになっています。ガッカリさせることは間違いないので申し訳ないです。あと、出来れば良かった状態のまま覚えておいて欲しい気持ちもありました。

開口一番、『サウンジャ!久しぶり〜。相変わらず若くて全然変わりないことで。』そうそう、この方は接待上手で現地の有力者とのコネもいっぱい持っていた方でした。お世辞とは言え、悪い気はしません。かわいがられてきたことをいっぱい思い出して、楽しい気分で過ごしました。

手に職も付けずに事務仕事ばかりしてきて、閉鎖確実な事業専門の部署に居るというのはどういうことを意味するのか。焦る気持ちがなかった訳でもないけれど、その後、TOEIC程度の資格すら取らずにサラリーマン(及びその嫁)として過ごしました。事務職だったらとっくに定年退職しているような年齢なのにまだ海外に稼ぎに行こうという契約社員さんの、本当に全然変わりないガッツに少々圧倒されながら。
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2010年08月30日

引き揚げ時

別な発展途上国でのお話ですが、主人の上司は事業所を畳む時にひどい目に遭ったそうです。現地駐在員として清算業務をしていたのですが、事業を撤収するということで現地の雇用が大幅になくなります。現地の人の生活に大きな影響を与えることなので、元従業員たちから恨まれているという立場です。突然集団に襲われて重症を負ったそうです。

『経営が苦しいんじゃないか?』という噂が現地でおおっぴらに流れる前に妻子を先に帰国させる駐在員さんも居ます(自分も帰りたかったでしょうに)。そうやって最後に男性陣が残ってうまく逃げ切る必要があるのですが。アフリカの事業も駐在員の男性だけが残ることになりました。

強く希望することは、事業はやめないで撤退することです。地元の雇用に貢献してますし、税収も頼りにされていると思います。停電地獄の時だって、大手企業が自家発電のみに頼ると電力会社の収入がダウンするから、かすかに通電している時間だけは電気を積極的に使うようにとの通達が来ました。それだけ頼られている立場です。

それで事業の売却先を探していました。日本人が駐在すると赤字になる事業を日本の企業に売る…なんて無茶なことはせずに、海外の企業との交渉を進めてきたようです。『1ユーロで売ってくれたら従業員も全員かかえていいよ』っぽいことを言ってくる所もありましたが、何とか値段をつけてくれる所に売却出来る見通しがつきました。

これで現地の人に恨まれることもなく撤退できてひと安心。…と、思いきや、せっかく細かい条件にも合意できて契約という流れになったのに、突然、『やっぱり…』と、キャンセルするような動き。出張中の主人が売却予定の企業の駐在員候補者に引継ぎをしていた時でした。『おたくの企業にやる気が無いんなら、もう教えるのやめて帰るけど?』『いえいえ、上が何と言ってるか知りませんが、私は絶対にここに駐在することになりますので、きちんと教えて下さい。』ゴネなきゃ損!ってお国柄なのかと疑ってしまいましたが、時間をかけて売却は確定しました。

事業を売却して撤退するという話は、現地駐在員及び東京本社の部署の者は当然だいぶ前から知っていることでしたが、他言無用を徹底されていました。この事業撤退はインパクトが大き過ぎる情報だと自負していたためです。実際、社内に公になって世間にもそれが知れた時、会社の株価は上がりました。株主からは、『早くやめればいいのに。』って思われてたってこと?長らく儲かってなかったのですから、そう思われていたのも仕方ないことですが、何か残念な気持ちです。

当ブログを書き始めたのは、駐在員間の噂で『近々撤退することになるだろうなぁ』レベルの認識だった頃でした。株価が上がるとは思ってなかったのですが、このようなインサイダー情報をネットでダダ漏れさせてはならないと自制して、個人名や国名や業種を伏せることを徹底してきました。書いてみると匿名の方が自由に書けて楽なので、このまま匿名を貫くことにします。
posted by サウンジャ at 00:55| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

翌年のアフリカにて

主人が駐在後に出張でアフリカに来てからだいたい1年ぐらい経過しました。既に現地の治安は悪化しており、一触即発状態でした。駐在員の妻子は全員本国へ避難済みです。特に首都は物騒になっており、毎日銃撃戦の音が聞こえる中…出張中の主人と現地駐在員たちは普通に仕事をしておりました(堅牢な壁と門番を信じて)。

国家の存亡の危機ということもあり、国営のものは極力使わないように言われていました。テロを警戒してのことです。アジアで乗り換えてアフリカ国営航空を使うと気苦労なく到着出来ますが、その飛行機を使わないことになり、渋々、治安が極端に悪い空港経由で他国の国際便を使って入国しました。テロリストと強盗、どちらが怖いかと言えば…テロリストです。

首都から以前駐在していた州への移動でも国営航空を使わないとなると、半日かけてバスに乗ることになります。トイレの無いバス利用で12時間前後。グッタリ疲れるのですが、疲れるだけで命を取られる訳ではないので、ガマン、ガマン。こうして何とか主人は地方の州に入ることが出来たのです。

ひどい裏切り行為をしてくれたメイドさんの父親は、まだ宿舎の門番の仕事を続けていました。父親が、主人の姿を見て言いました。『これはこれは、お久しぶりです!お元気ですか?』例え個人の犯行としても、企業として他社の方にご迷惑をかけていたたまれない気持ちで恐縮しているというのに、実の父親は懲罰なしなのですね。但し、この父親は門番としてずっと真面目に働き続けています。

『あっ、お前はパパ(de)サウンジャだな(○○ちゃんのお父さんという意味で、パパ○○という表現を現地では好みます)。あいつはな、俺たちが居た頃は本当にいいメイドさんだったんだ。それが俺たちが居なくなってから悪いことをして、俺たちもガッカリしてるんだぞ。』『どうもすみません…』そんなやりとりのあと宿舎の食堂に入って腰掛けていると、ドアが開きました。

全く悪びれることもなく、以前と同じ満面の笑みで寄ってきたのは、地方に居づらくなって上京したとかいうメイドさんそのものでした。元気そうで良かったと思わなくもなかったけど、『お前の顔なんて見たくないんだ、帰れ!』と、追い払ったそうです。元気そうなのは良かったと思うし、おそらく子供たちと一緒に暮らしているのでしょう(旦那とは離婚したかも知れないけど)。ある意味、安心。

しでかしたことは悪いことだと思うし、信頼関係の回復なんてとても出来ないと思います。それが少なくとも日本人の常識で、『とても申し訳なくて顔向け出来ない』心理になるのが当然だと思うのですが。そんな風にアッケラカンと寄って来られたとしたら、私はどうしたら良いのでしょう?主人いわく、『あの時あの場に居なくて良かったよ。』とのことです。本当にそう思います。元雇用主として毅然とした態度をとるべきか、懐かしい友達に再会出来て良かったという顔をすべきか、わかりませんから。
posted by サウンジャ at 12:47| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月28日

逃避行

私が駐在妻だった頃は知らなかった手段を、ベテラン駐在員のマドモワゼルは事前に講じていました。『外貨対策で取り戻せるもの、無理なもの』の時に書いた通りですが、紙幣の番号の控えを別にとっていたのです。発展途上国ならではですが、いずれも価値の高いはずの、ドルもユーロも日本円も、国内では流通せず、銀行での換金作業が必要となります。作業の際は身分証明書が必須です。

私が被害に遭っていれば完全に泣き寝入りでした。マドモワゼルは速やかに被害届を出して、被害にあった紙幣が換金された時に身分証明書を提示した者を突き止めることが出来ました。それにより、メイドと門番が犯人であることが判明しました。警察とハサミは使いよう…。私たち駐在妻は、検問と称してカツアゲを繰り返す警官とケンカばかりしてきました。主人が正攻法で警察に被害届を出した結果、全く関係ない駐在員が不当逮捕されただけに終わりました。警察が日本人の役に立つことをすることもあるのか!と、驚きました。

もっと驚いたのは、私の時には『メイドさん募集のコツ』の条件をクリアしていた優秀なメイドさんが、条件の一つ、『今までメイドしたことがないこと。』に当てはまらなくなっただけで、当てはまらなくなった理由はほかならぬ私のせいで、それを知りながら他人に熱心に勧めた私のせいで、犯行に及んだということです。手紙でも電話でもマドモワゼルと連絡がとれなくなった理由を、何ヶ月も遅れてようやく知りました。何とお詫びして良いのやらわかりませんが、手をついて謝りたいものです。

親戚縁者の多い州にはさすがに居づらくなったのか、メイドさんはその後、首都に移住したと聞きました。ご主人と離婚したとしても、小さなお子さんたちまで置いていっていいの?バツイチ子持ちの門番が再婚しようとした時に元奥さんが裁判所に訴えたら勝訴して、再婚も禁止かつ外出すら禁止という判決が出たという話がおかしいという私に、『マダムは子供が居ないから彼女の気持ちがわからない』って言った人です。あのかわいいお嬢さんたちのことを思えばなおさら、ずっと大事にして下さったマドモワゼルを裏切ってまで男とかけおちする必要があったのか。

きちんと罪を償って更生して、いつか子供たちに会えますように。それと同時に、マドモワゼルが裏切りのショックから早く立ち直って、決して人間不信になりませんように。祈ることしか出来ませんでした。夫の留守中、ずっと玄関に飾っていた門番とメイドさんの集合写真(お餞別として写真立てに入れてくれたもの)に向かって心の中で、『行ってきまーす』『ただいまー』って呼びかけていたのですが。私はその写真の中の彼女に向かって『アホ!』と口に出してつぶやき、泣きました。
posted by サウンジャ at 12:14| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

人妻の恋

20代半ば、まだまだ遊びたい年頃と言えます。文句なくカワイイ顔でスタイルも良くてオシャレでした。色んな男性が彼女をそういう目で見ていたことは間違いなく、口説かれる機会も多かったことでしょう。ただ、幼い娘が2人、働かない40代の夫と共に彼女の帰りを待っています。今まであらゆる誘惑も断ってきた…と、信じたいものです。

優しい日本人マドモワゼルの家で、最初のうちはメイドさんも真面目に働いてきました。寂しそうって話も出ていたようですし、寂しかったのかも知れません。朝から出勤して家事して昼ごはんの片付けなどして帰る生活だったはずですが、大人の女性一人暮らしの家の家事って大した量ではなかった気がします。マドモワゼルは仕事で忙しくて、彼女は暇で仕方なかったのでしょう。

その家で雇われていた門番にそそのかされて(…と、私は信じたい)、マドモワゼルを裏切る形でかけおちすることにしたようです。又聞きの又聞きの又聞きなので、詳細はよくわかりませんが。信頼されていたからこそ渡されていた家の鍵を使って、マドモワゼル不在の間に家に侵入しました。当直の門番もグルです。そして、一切合切を盗み出したのだそうです。

発展途上国で海外駐在員の自宅が空き巣に遭うというのはよくある話です。先輩駐在員の皆様の中にも被害に遭われた方はおられます。疑っちゃ申し訳ないけど断言できます。犯人の中に必ず、メイドと門番が居ます。鍵を持っているのは家の者とメイドだけで、メイドの協力が無ければ家の中に入れません。24時間体制で家の敷地は警護されているはずですから、門番の協力も必要となります。外国人の家で働いている同僚ということで仲間意識も強いのだそうです。証拠が無いので泣き寝入りすることが多いそうですが。

もちろん、悪い門番ばかりではなく正義感の強い門番も居ます。購買担当として働いている社員さんは、昔、日本人駐在員の家の門番だったそうです。強盗の侵入を大怪我を負いながらも阻止した手柄が評価され、社員として登用されました。私が駐在妻だった頃の門番は寝ずの晩なんてしてくれなさそうでしたが(昼間でも寝てたし)、万一寝ている間に侵入者が来たとしても、テレビだパソコンだと家財道具を持ち出しまくると音もするでしょうから、気付かずに寝たままってことはなかったと思います。

帰宅したら鍵があいていて家財道具が丸ごとなくなっていたことを知ったマドモワゼルがどんなにショックを受けたのか想像すると、申し訳なくて仕方ありません。さすがは何度もアフリカで駐在員をしてきた方だと感心している場合ではありませんが、適切な判断と迅速な行動によって犯人逮捕に成功したそうです。長くなってきたので詳細は後日。
posted by サウンジャ at 21:20| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

再びアフリカへ

経済とか考えてなさそうな発展途上国の庶民でも気付いていたと思います。『この企業は先行きが怪しいな』って。海外駐在員の数が減ってきてますし、所有不動産も処分しつつありました。私は就職した頃から日本はどんどん不景気になっていて、『バブルの頃はこんなのもあったんだよ』って昔話を聞くだけの立場でした。色んな『先行きが怪しい』現象を見ても、見慣れ過ぎていて、『だいたいどこもそんなもの』って感想しか持っていませんでした。

好景気時代から社会人だった先輩方は主人に言ったそうです。『将来確実にこの事業は畳むと思う。そうなるとうちの部もなくなる。安全なうちに違う部署に入れたことを、ありがたく受け止めるべきだよ。』って。地方の営業所は決して悪い待遇でもなく(首都圏と比べて物価が安い分、給料は減ってますが)、業務内容も、別に悪くなかったはずです。それでも、『アフリカとの接点がなくなった』…と、主人はふて腐れていました。

『アフリカ事業を最後まで見届ける役目につきたい』と、本社への異動希望を出していました。現地従業員に気付かれないように整理事務を進めている駐在員さんの任期が予定より長くなってしまい、一時帰国をする時期になりました。留守中の交代要員がちょうど不足することもあり、主人は再び本社勤務となり、出張者としてアフリカに戻りました。

今になって思えば、消えていく運命にある部から出て住み心地の良い地方で落ち着くようにという配慮は、上司の心遣いの表れだったのかも知れません。本社に戻ると、『本当にここで良かったのか?』みたいなことを先輩方に言われたそうです。主人としては、こだわり続けた思い入れのある国の事業に最後まで付き合うことで満足感が得られたのでしょう。

今でも、『安全な部署で落ち着かなかったことを後悔しないの?』って聞けば、『自分の居たい所で全力を尽くしたから後悔しない』って答えられそうな気がします。社会人経験が乏しくて先の読み方も知らなかった私は、『こうなることがわかってたなら絶対に地方に住み続けたのに!』って思いますが。

私は働くということの意味を、『労働の対価として生活費を受け取る儀式』ぐらいにしか考えていません。男の人は、どこでどんな仕事をどんな気持ちをもってする…みたいな大儀名分が必要不可欠なのかも知れませんね。女の人は、安定とか安心の方が大義名分より重要と考えるものですが。
posted by サウンジャ at 22:31| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

アフリカ音楽を聴いて

今まで住んでいた首都圏の狭い社宅も日当たり良好で明るくて良かったのですが…。借り上げ社宅は住んでてトクしてるな〜という気分になるものでした。風呂無し時代の社宅よりは新しいので住みやすいです。広いし、家賃の一部を会社が補助してくれます。

バブル期に建てられた物だから?リビングで有線放送が聞けました。何十種類ものチャンネルから選べます。なんで新しいマンションに有線放送がついてないんだろう?って思うぐらいに気に入りました。よくラジオフランス語講座(好きね…)を聞いていました。

色々とチャンネルを変えていると、『アフリカ音楽』というのを見つけました。かけてみると、確かに懐かしい感じ。こういう感じの曲の流れる所に住んでたな〜って思いながら聴いていると、色んなことを思い出しました。私の方が家に居る時間が長くてよく聴いていたので、主人に何度もアフリカ駐在中の思い出話を蒸し返して話していました。何日かけても話しきれないので、ブログを書くことにしました。

90年代の日本で流行った歌とか80年代とか昭和の演歌とか、色んなチャンネルも選べましたが。日本に居なかった間の曲の勉強も大事ですが、今の流行も追いかけたい!オリコンチャートもかけっぱなしにしていました。いい部屋だったなー(有線放送が良かっただけ?)。

読者様から教えて頂いた情報ですが、日本に居なかった間の出来事は、ネットで簡単に調べられるそうです。例えば、2009年に不在だった方は、『2009年の日本』で検索すると、Googleなら1位に2009年の日本-Wikipediaが出てくると思います。そういう親切な解説をして下さる方がインターネットの世界にはおられるのですね。発展途上国でネットサーフィン出来なかった元駐在妻さんも、帰国後はこういうサイトを活用して人生のミッシングリンクをつなげておくと良さそうです。

『ブログネタにしてます』とは言わなかったけど。『アフリカの音楽を聴きながら駐在中のことを思い出して過ごしています。』…と、メイドさんと彼女を雇って下さった日本人に手紙を書きました。その返事は来ませんでした。いい加減な国だから配達がうまくいかなかったのかな?と、私は深くは考えずに過ごしました。
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2010年08月23日

落ち着き先

本来なら春の人事予告として主人のアフリカ駐在は春のうちに終わることに決まっていました。が、予想外に国中が停電しっぱなしという状況になったため対応に追われたりして、夏の帰国になってしまいました。もともと景気が悪いのでコストの高い日本人駐在員を一人減らすという話だったので、状況が落ち着くと帰任が確定しました。

戻るべき場所は、東京本社です。海外駐在員の人事異動は季節を問わずになされますが、本社は春に異動するものです。とりあえず3月まではそこに席があったのですが…4月1日付で主人は地方の営業所勤務となりました。

仕事を探すのに先立って取得済みの国家資格(フランス語は関係ありません)の講習会の予約を入れていたのですが、首都圏では受けられなくなりそうです(引越し予定日となる3月31日に予約を入れていました)。慌てて電話して地方の会場で受けさせてもらうように手配しました。私が焦ってした引越し準備ってこの程度だったと思います。

船便引越し荷物もこの頃にはさすがに届いてましたが、再び荷造りし直して出荷です。要領を得ないうちに一人で荷造りした時は狭い部屋に積み上げて腰を痛めたりして苦労したものですが、海千山千に一歩近付いてからは、引越しに苦労しなくなりました。

発展途上国で家族が暮らすための荷物をまとめなければならない…などの特別な事情すら不要です。厚かましく堂々と、『引越しするから空き部屋に荷物積ませて下さい!』と、申し込めば良いのです。社宅を離れることになってようやく、社宅でのサバイバル方法のようなコツがつかめてきました。

地方には社宅という建物が存在せず、賃貸マンションでの快適な借り上げ社宅暮らしです。ブログを書き始めることになった、住めば都の地方暮らしについては、日を改めて書かせて頂きます。
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2010年08月22日

熱帯体質

夏に日本を出てアフリカの熱帯に住み、夏に戻ってくるのは良かったのかも知れません。常夏とは言え過ごしやすい乾季の気候と比べると、日本の夏は蒸し暑くて過ごしにくかったのですが、だいたいどこに行っても過剰に冷房が効いてますので、どちらかと言えばエアコン対策の上着が必要という感じです。

冬に日本を出て冬に一時帰国するというサイクルの駐在員一家もおられました。『結局ずっと病気で寝て過ごしてた』って伺いました。せっかく発展途上国の不便な生活から抜け出したのに、寝ているだけなんてかわいそう…。小さなお子さんは水疱瘡とか風疹とか、とりあえず幼いうちにかかっておくべき病気ノルマが色々あるので、悪いこととも言い切れないのですが。

暑さには強くなった私ですが、帰国後の冬は病気ばかりして、職を探すどころの話ではありませんでした。1ヶ月近くほぼ寝たきりでした。トイレには自力で行けるけどゴミを出すために階段を下りることは出来ませんでした。冬だから生ゴミ貯めてもそんなに臭いませんが。

熱帯では消化器系トラブル(99%食あたり水あたりによる下痢)に悩まされたものですが、持病のある呼吸系のトラブルがなかったことを思い出しました。日本でしばしば喘息の発作を起こしながら。ぜんそくは一旦始まると長く治らないものだと考えていますが、それにしてもこの風邪は風邪にしては長引くなぁと思いました。手持ちの抗生剤を飲んでも改善されないし。

這ってでも最寄りの診療所に早めに行くべきでしたね。風邪ではなくて異型肺炎だったようです。風邪ウイルスとも細菌とも微妙に違う、マイコプラズマという病原菌が原因だったようで、自然治癒しないことを1ヶ月かけて悟ってから行った診療所で処方された抗生物質で治りました。

発展途上国のように信用出来る診療所の無い環境では自宅で寝込む以外の方法は無いかも知れません。日本のように最先端の医療が受けられる環境に居るなら、早期治療を受けるにこしたことはありません。ちょっと日本を離れていただけなのに、めっきり冬に弱い体になっていました。日本の冬にはお医者さんが欠かせません。
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2010年08月21日

お返事

はるばるアフリカから、メイドさんを雇って下さっている日本人(マドモワゼル○○)からのエアメールと、メイドさんからのエアメールが届きました。日本人は日本語で。『メイドさんはよく働いてくれます。』好評価です。『ただ、私がずっと仕事をしているので構ってやれず、寂しそうにしています。』ん?心に引っかかるものがありましたが、何も見抜けませんでした。

メイドさんからの手紙(別の封筒で別に切手が貼ってありました)。『マドモワゼル○○が、返事を書くようにってエアメール用の封筒を下さったので書いています。とても優しい人の所で働けて私はとても幸せです。』大事にして頂いているようで、私も安心しました。寂しいとか不満なことは何も書いてませんでした。

その後、4人居た門番のうち1人からも返事が来ました。驚いたことに、彼はとてもフランス語が上手でした。ほとんど喋ったことなかったから知らなかったけど、若いうちからよく勉強していたのでしょう。私がよく喋っていた門番が特別勉強の出来ない人だったのかも知れないけど…私は庶民はフランス語がほとんど喋れないものだとばかり思い込んでいました。

私にとってはハイレベルな文法も駆使されているので辞書を使いながら読み解きました。『あなたたちの家で働いていた頃はとても良かったです。だって、とっても優しくて気前が良かったから。』気前が良いなんて単語は知りませんでした(そして今は忘れました)。ビスケットを毎日のように配給して、クリスマスボナネ(正月)にもプレゼント、最後にどどーんと在庫処分的に配ったので、そう思われても仕方ありません。

読み進めていると…『あなたたちが私に10万円くれたら、小さな雑貨商でも始められるのになぁ!』などと書いてあります。うーむ。『10万円ですか?有ったら私も欲しいぐらいです。誰もくれないのでコツコツ働くことにします。あなたもカワイイお子さんのために一生懸命働くのですよ。』

門番もメイドさんもお子さんのカワイイ写真(アフリカの子供は目がくりっと大きくて、本当にカワイイです)を送ってくれたので、ただ受け取るのも申し訳ないし、プリクラに加工したものを同封して手紙を送りました。日本人には日本語の手紙を。フランス語と違って日本語はスラスラ出てくるので書きやすいなぁと思いました。…当たり前ですけど。
ラベル:アフリカ メイド
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2010年08月20日

クリスマスカードを発送

暑い時期に秋の話ですみません。海外で知り合ったキリスト教を信仰している外国人と付き合うなら、年賀状ではなくクリスマスカードをやりとりすることになります。私は2つ折りのカードを封筒に入れて11月中に発送することにしてきました。それぐらい早く着くのは構わないけど、クリスマスに間に合わないと格好悪いのだそうです。

駐在中に我が家で働いてくれていたメイドさんや門番たちからもらった餞別の中に、彼らの連絡先を書いた紙が入っていました。せっかくなので全員にクリスマスカードを送ってみることにしました。『日本は寒くなってきました。冬になれば雪が積もると思います。』アフリカ駐在中にはありえなかったモコモコの上着を羽織った姿のプリクラも貼っておきました。

ほったて小屋みたいな所に住んでいる人も居たと思いますが、私たちのような海外駐在員が住むような立派な家ですら、住所はありませんでした。主人の勤務先は州で一番の大企業ですから住所がありました。私宛の郵便物は会社(もしくは私の実家)に送るように日本の友達には伝えていました。そういう企業に勤めている人は会社の住所を使えますが、そうでない一般人はどうするのでしょうか?

答え。何とかなる。門番たちは地元では有名な門番派遣会社に所属しているので会社経由で受け取れます。メイドさんは地元では有名な日本人の家で働いているので、『○○州○○市○○町マドモワゼル○○の家』という宛先で受け取れます。どこにも所属していない人でも、誰か『連絡先』になる人宛に送ってもらえれば、伝令のように色んな人を経由して何とか受け取れる仕組みになっているそうです。

フランスでは、子供っぽく見えない女性の敬称は全て『マダム』になりますが、アフリカ流フランス語の定義によると、未婚女性はいつまでも『マドモワゼル』と呼ばれます。そもそものマダム・マドモワゼルの使い分けの定義についてお知りになりたい方は、過去の記事、マドモワゼルをご覧下さい。
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2010年08月17日

パソコンの写りがヘン

海外駐在前、我が家には2台のデスクトップパソコンがありました。当時は一人1台のパソコンを所有するのが珍しかったのですが…私が実家から2台持ってきていたのです。パソコンは好きですが、得意という訳ではありません。なので、失敗も多々あります。

発展途上国に停電はつきものです。デスクトップパソコンは電源をブチ切りされると壊れることが多いそうです。アフリカに引っ越すのに持っていくべきではないものだと判断しました。ちょうどパソコンを持っていない友達が居て、何でもいいからもらえたら嬉しいというので、私の愛機が初心者用で見た目もカワイイので送ってあげました。その中にあったデータは新しく買ったノートパソコンに入れて、古いパソコンからデータを消去しています。

残る1台は比較的高性能でした。容量も大きくて、私のと違ってドライブ(正式名称不明ですが、データを保存出来る場所のことを言っているつもり)が2種類ありました。USBメモリにもバックアップを取ってますが、新婚旅行の写真とか大事なデータのバックアップにも使っている、主人専用(だけどバックアップ兼用)パソコンでした。これは家電等と一緒に倉庫会社に預けていました。

くれぐれも、預ける時に押した印鑑を引き取りの時まで亡くさないように!と、倉庫会社に念押しされていました。引っ越す時に預けたこれらの荷物は、帰国直後に受け取ることが出来ました。何ヶ月かしたら船便荷物もたくさん届くのに、結構部屋が狭くなりました。文句ばかり言ってられません。懐かしいパソコンとの再会です。

長らく電源オフしていたデスクトップパソコンを起動してみました。すると、写りが変なのです。何らかのトラブルがあった時にSafe modeでとりあえず起動してみることがあると思いますが、その時みたいにアイコンが馬鹿でかいし、画像が荒いのです。出荷前にセーフモードにした訳ではないし、ごくごく普通に電源を切ったはずなのに。

グラフィックボードがおかしくなったのではないか?とか色々悩んだものです。モニターの写りはおかしいけど、大切な画像の(馬鹿デカくてアバウトな)アイコンをクリックして『印刷』すると、プリンターからはキレイに印刷されて出てきます。データが破壊されている訳ではない模様。

原因は、想定外の長い時間モニターに全く電気が来てなかったことにあるようです。アイコン全部がデカ過ぎて使いにくくなったパソコンを試行錯誤しているうちに、直せました。画面のプロパティを調べると、ディスプレイが正しく認識されていないように見えました。解析度を一番荒く設定してみた上で、本来の解析度に上げてみる…という動作で回復したと記憶しております。

記憶も曖昧なのは、そのパソコンはもう処分してしまったからです。せっかく使えるようになったのですが…。駐在中、浦島太郎状態になっている私やデスクトップパソコンを置いてけぼりにして、パソコンの世界は急速に進化していました。新しいパソコンと比べると動作は遅すぎ、容量は小さ過ぎ、ついでにWindowsのサポートからも外れて、使い勝手が悪いと感じてしまったからです。

もっと使いこなせる人なら、部品を集めておいてHDDを記憶装置として代用したり出来たのかも知れませんが。何のために大事にとっておいたのかよくわからない…という結果になりました。1年以上使う予定のないパソコンは、売るか譲るかするのが適切な処置のようです。

[後日、追加]

BTOパソコン.com様のブログ記事から当記事が紹介されました。私が四苦八苦した検証作業についての解説付き。
余談ですが、正式名称不明のデータを保存出来るドライブというのは、HDDのことを指していました。※Win-98(SEでもなかったと思う)なので、仕様が古いのでした。
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2010年08月16日

海外帰りを言い訳にしない

丸一年以上海外で過ごした人は、特に発展途上国の停電続きでネットに接続出来ず外界と遮断された状態に居た人は、例えば、『今年の流行語大賞ノミネート』の言葉が全部理解出来ないと思います。普通は、『え?こんなことも知らないの?』って言われるのですが、こう言い訳すると言われずに済みます。『だって私、海外に居たから。』

たいていのことは、それが言い訳になるのですが。私は言い訳をしたくありませんでした。事情はさておき、一般市民として期待されているべき知識が欠落していたり、地域の常識を逸脱していたりすることは、付き合う相手に多少の不快感を与えることに違いありません。夏に出て夏に戻ってきた。私の主観では長すぎる夏ですが、客観的には欠落している期間です。

ネットサーフィンはおろか、メールの送受信も週に1度という生活でした。何とか時事ニュースっぽいメルマガを何種類か購読してきて、最低限の情報は入手してきました。日本ではyahooとか有名なサイトにアクセスした時に最初に見たり、ただ何となくテレビを付けてたら流れてくるニュースで知ったり、新聞の一面トップ記事になってたりするような話題です。しばらくは情報源として役立っていたのですが、ほとんどのメールマガジンが廃刊になってしまいました。ブロードバンド時代に流行らなかったのでしょう。

これまた廃刊になったメルマガですが、芸能ネタとかCD売れ行きランキングとかもテキスト形式の情報で入手してきました。他にすることの特にない退屈な駐在生活だったので、むさぼるように繰り返し読みました。それで、急に出てきた歌手の名前も知っていました。が、その曲は聴いたことがありませんでした。

そんな中途半端な知識の穴埋めをすべく、レンタルCD屋さんで駐在中に流行った曲を借りまくりました。必死の『復習』で繰り返し聴きました。これが帰国子女なら、日本語が書けないことで苛められたりすることも多いので、当然国語(日本語)の勉強を一生懸命していたのでしょうが。私たちは大人なので、流行に乗り遅れている部分のみ必死で追いかけることにしました。

かなり熱心に『復習』した甲斐がありました。もともと流行にはうとかったはずですが、駐在中に流行った曲が、日本に居る頃に流行った曲よりずっと上手く歌えるようになったように思います。ドラマや映画も必死で追いかけました。全然えらくも何ともない話ですが、帰国してからはそんなことに一生懸命でした。
ラベル:発展途上国 駐在
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2010年08月15日

日本の美容室

実家に顔を見せつつ車をピックアップしてからフランス旅行してくるまでの間に、1年以上ぶりに美容院に行くというビッグ・イベントをこなしていました。本当は帰国直後にスッキリしたかったのですが、個人旅行に行くまでの間は個人の都合で動けなかったのです。頭髪の不快感ということだけで考えると、駐在中よりも帰国してからの方が時間のたつのが遅く感じられました。

社宅徒歩圏に新しく出来た美容室に行ってきました。当然、カット・カラー・パーマのフルコースでお願いするのですが、絶対に言っておくべき注意点があります。『アフリカの日差しを1年以上浴びてきたので髪が痛んでます!』って。たまたま海外帰りの美容師さんに当たり、うまいことしてくれました。

『帰国したばかりなので浦島太郎さん状態になってそうで頭髪以外も色々と不安があります。』雑談を始めると、言われました。『私もしばらくアメリカで働いていたので気持ちわかります。』日本人よりも幅広く髪の癖とか違う人たちに合わせてカットやカラーを施術してきたそうです。私の髪状態に合わせてもらえて良かったです。痛んでいた感じがしない仕上がりでした。『帰国してきてから驚いたことって何ですか?』

『あの頃ね〜アザラシのゴマちゃんが流行ってて、みんながゴマちゃんゴマちゃんって言うのが全然わからなかったんですよね。』少年アシベとかいうマンガが流行ったのはかなり昔。『あー、ゴマちゃんの頃に帰国されたのですね。』しばらくアザラシの話をしていて気付きました。そのアザラシの名前はタマちゃんだ!それほど昔でもない話でした。

多摩川に現れて大騒ぎされたアザラシのタマちゃんと、かなり昔に流行したマンガに出てくるアザラシのゴマちゃん。当時ずっと日本に居た私にとっては全くの別物で、タマちゃんをゴマちゃんと呼ぶことはありえません。海外帰りってこういうことなのか!と、ハタから自分がどう見られるのかを想像してある種の覚悟をしたのでした。
posted by サウンジャ at 08:45| 発展途上国アフリカ駐在から帰任後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

時期尚早な海外旅行

国内に観光名所がいくらでもあるのに人はなぜ高い渡航費用を支払ってまで海外旅行に行くのか?異文化に触れて日常を忘れてみたいから?『たまには海外に行く余裕があるんだよ』って自慢が出来るから?…だとすれば、私たち駐在帰りたて夫婦は間違った選択をしたかも知れません。

英会話が出来なくてもフランス語を話せれば不自由しない環境…アフリカ直行便の出ている乗換え空港と比べれば便利でした。しかし、熟考してみれば自国語の通じる日本の方が言葉に不自由しません。

日本ではまだ珍しかった、飲食店でのテーブル会計。荷物が多い時は特に助かった制度ですが、アフリカで十分に利用してきたので、珍しい体験をさせてもらったという気分にはなりません。

海外に1年以上住んでいて帰ってきたばかり(しかも発展途上国)という肩書きは、『ちょっとフランス旅行してきました』って言うセリフを消して余りあるほど相手に強烈なインパクトを与えます。却って、『せっかく切望していた祖国帰国をしたばかりなのに自らの意思で再び海外に遊びに行った』…という行為が、『あの夫婦、頭悪いんじゃないの?』という印象を与えかねません。

それでも行きたかったパリ。なぜって、私はフランス料理が好きなのです。フランスで食べることが出来る料理は基本的にフレンチのはず。それが庶民価格で提供されるのですから楽しみで楽しみで仕方なかったです。

確かに1軒利用させては頂けました。飲み物のルールはアフリカで学習して板に付いております。今夜は運転しないからワインをとりましょう。…で、1本開けて持って来て頂き、テイスティングすることになるのですが。主人は大人しく待つのに飽きてトイレに行ってしまいました。仕方なく女性である私が代行。ちょっとルールどおりじゃないけど…。

生クリームをしつこく煮詰めてからめた系の私好みの料理がやってきて舌鼓を打っていたのですが。主人が低い声で言います。『俺、こういう料理キライで駐在中はこんなのばっかりで嫌だったんだよな。せっかく帰国出来たのに。』せっかくここまで自費で来たのに?という私の反対意見は無視され、その後はベトナム料理店とか韓国料理店とか、アジア料理ばかり食べに入っていました。

『あの文化もこの料理も懐かしい!』って思えるようになってから来るべき国だったかも知れません。それでも、私は念願のパリ旅行が出来て大喜びしておりました。主人は、『パスポートに押されるスタンプの種類が増えるのが楽しみなのにフランスばっかり。』って言ってましたが、『不便な発展途上国での生活に耐えてきた私へのご褒美だと思って!』という私のわがままを聞いてくれました(ご褒美の宝石とは別腹…)。それから間もなく、主人は仕事で又フランスに来ることになります(笑)。
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2010年08月13日

親切なフランス人

旧宗主国がフランスという発展途上国に住んでいると、駐在中の外国人ですら思うものです。『いつかパリに行ってみたい。』って。多くの方は渡航費用が無く、一部の方(日本人みたいにコンジェ〜バカンスのこと〜制度のない国籍の方も居るでしょう)は時間がありません。

海外送金を受け付けられないらしいアフリカの銀行口座しか使えなくて動かしようのなかった日本の口座(※メンテナンス時刻と時差の関係が悪くなければネットバンキングは出来ます)に1年以上分の給料が貯まっており、帰国休暇をタップリ頂いた私たちには、時間もお金もありました。日本に帰ってきたばかりですが、海外旅行する時間は今しかありません。いざ、パリへ!何て快適なのでしょう!見る目を癒す美しい建造物。何て快適なのでしょう!英語が話せなくても全く問題ない環境です。

アフリカでは教科書どおりのフランス語と少し違っていました。『Good afternoon』に相当するボンジュールと『Good evening』に相当するボンソワール…の境界線が、アフリカは早く来ます。昼下がりの挨拶は『こんばんは』が正解なのだと宿舎のメイドさんに教えられました。又、現地のみなさんにとっては外国語なので、どこかで読んだややこし過ぎるフランス語は理解出来ない人も居るようでした。そんな生活とは違い、パリでは習った通りの正しいフランス語が堂々と使えるのです。

『失礼いたしますマダム、少しお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか?私たちは○○を探しているのですが、どちらにあるかご存知でいらっしゃいますか?』っぽい丁寧な質問文に対して、満面の笑みで答えてくれました。『はい、それでしたらスグそこですよ♪』って英語で…。アレ?何をどうフランス語で聞いても皆さん満面の笑みで英語で答えて下さいました。いいことなのか、悪いことなのか。

学生の頃、フランス語を話せない友達がパリとロンドンに旅行に行ってきて、フランス人のイメージが悪くなったと言っていました。ロンドンの人はみんな旅人に親切なのに、パリの人は冷たいとのことでした。下手くそなフランス語で話す私たちにはとても親切に(下手と揶揄されるとは言え日本人よりかなり上手な)英語で答えてくれる人ばかりでした。こんなに下手なのによく頑張って喋ってくれたね〜って思って余計に親切にしてくれたのかも知れません。フランス人は親切な方ばかりでいい国だと思いました。
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2010年08月12日

愛車と再会

実家まで帰省して懐かしい親族と会うのも楽しみでしたが、私たちには一つ大事な仕事がありました。私の実家に預けていた愛車を引き取ることです。既に社宅近くの不動産屋さんに月極め駐車場を押さえてもらっているので、受け入れ態勢は万全でした(社宅敷地内駐車場は台数が少なく、一度退去した人は2年ぐらい待たないと使えません)。

この車には特別な思い入れがありました。実家に居た頃、私専用の車というのがなくて、家族で2台共用していました。車で買物に行く訳でもなくバイクで通勤していた私は乗車する機会が少ないということで車種を選ぶことすら出来なかったのです。

結婚するに当たり、お嫁入り道具として新車を買ってもらえることになりました。予算に限りがあるので高級車は無理ですが、私に似合いそうなカワイイ車を選んでもらいました。主人は駐在地でトロピカルフルーツのとりこになる前からぽっちゃり目だったので、ただの小型車では窮屈そう。それで、その車種の中で特別大きめのグレードでないとイヤだとか最後のワガママを言って、遠く離れた新居まで積載車で運んできてもらったのです。

その新車が初走行した場所が、まさしく再度契約することになった月極め駐車場の中です。ああ、感動的!大事に預かってくれていたようで傷一つ増えていなくて、ついでにカーナビも設置してもらったりでグレードアップして帰ってきました。ちょっと遠いけど、主人と二人でタップリのお土産を載せて運転して帰りましょう。

アフリカでは主人は大きな四駆に乗っていました。私は中型のセダンに乗っていました。それに慣れていたせいでしょうか?『…狭い。』駐在中に二人して太ったことも大きな要因ですが。高速道路を小型車で走ると…『重い。』ま、色々あります。

社宅から実家に持って来た時は、わざわざ新幹線で応援に来てくれた母と交代しながら運転しました。主人は『重い』って言いながらも、ほとんど自力で運転してくれました。やっぱり車って男の人に運転してもらう方がラクです。狭い社宅周辺の路地では大活躍の小回りですが、高速道路で小型車を運転してもらうとちょっと(車にも主人にも)気の毒な感じでした。
ラベル:アフリカ 駐在
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2010年08月11日

夫の実家

帰国直後はホテルからでも会社に出向いて顔を出すように言われ、ほんの挨拶程度の用事ではありますが、主人は『出勤』しました。1年以上休むことなく働き続けたにしては少ないと思いますが、『帰国休暇』を2週間ほど頂けました。何はなくとも、実家へ向かいます。

それまでの間、アフリカから航空便で送った荷物がトラブルでまだ届いていなくて、主人は運送会社と電話で交渉したりしていました。普通は世界中どこからでも3日もあれば届くはずなのに、発展途上国の窓口担当者のミスもあってのことでしょうが、日本の担当者のミスが重なって、かなりの遅配となりました。実家に帰省する前に渡すべきお土産を受け取りたかったのです。

長い間、物資を送って頂き、愚痴ばかりのメールも読んで頂き、借りだらけの状態です。私の準備が十分でなかったことで迷惑をかけた部分も大きいので、手ぶらはマズイと思ったのですが。手ぶらでも温かく受け入れられました。スーツケースの中身は駐在地から持ち出したとりあえずの自分の着替えばかり。普段はバスに揺られて帰省するのですが、なんと!最寄り駅まで義父が車で迎えに来て下さいました。

お姫様状態だなと思いながら実家にお邪魔すると、ヨレヨレの服に1年以上散髪していない髪で日本人離れした日焼けの私を見た義母は、『サウンジャちゃん、よく帰ってきたね。ご苦労さまでした。』と、労って下さいました。『この焼け方、ヤバいですよねーアハハハハ』って自嘲気味に言うと、義父は、『日焼けなんてのはそのうち消えるよ。』と、慰めて下さいました。

ついでに、美味しいトロピカルフルーツの食べ過ぎで太ってしまい、駐在準備で急激に痩せた頃に買った服がピチピチで苦しいという見苦しさこの上ない姿です。『向こうでラクさせて頂きましたから、こんなに太ってしまいました。』人に指摘される前に自分で言っておくのが賢明と思ったので言いました。義母は、もっと太っている主人(私よりずっとたくさん食べてました)の横に居れば痩せて見えるから大丈夫だと太鼓判を押して下さいました。

結婚前にお邪魔した時も随分気を遣わせてしまったなぁと思っていたのですが。駐在直後の帰省が過去最高に気遣って頂いた感じです。発展途上国駐在妻のみなさん、ご主人の実家に帰省するなら駐在直後が一番よろしいかと存じます。恐縮するぐらい大事にされますから。
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2010年08月10日

冷房地獄

停電地獄の熱帯で野生児のように過ごしてきた私は、暑さへの耐性に相当自信があります。学生の頃、冷房の効き過ぎる私学で制服の下にジャージのズボンを履き、制服の上にジャージの上着を羽織ってガタガタ震えながら授業を受けた経験から、もともとクーラーを付けたくない人ではありました。

アフリカは暑かったけど、日本でもそんなにエアコンに依存しないので耐えきれました。発展途上国の停電は暑かろうと容赦なく来ますが(通電時間そのものが滅多に来なかったか?)、熱帯であろうとエアコンも付けずに過ごしてきたので、扇風機すら使えないのに最初は戸惑ったけど、何とかなりました。

もちろん、友達からもらった、冷やして使う冷たい枕や電池だけで動くミニ扇風機などの小道具に助けられて睡眠時間を確保出来たのも事実ですが。とにかく、私にはエアコンは不要だったのです。現に会社の設備に必要ということで、自宅寝室のエアコンは寄付(タダで借りてたものだけど)していましたから。

残暑厳しい日本で友達と会う時も、汗対策等慣れたもので、駅まで汗を拭き拭き、楽に出てきました。友達の方が駅が近かったはずですが、彼女は相当バテてました。野生児のような生活をしてきた私って強い!って思ったものです。

そこから先が大変でした。平均的な日本人である彼女に野生児レベルの時間の暮らし方なんて強制出来ません。当然、エアコンの効いた建物の中で過ごすのですが、ノースリーブで暑さ対策のみしてきた私には、冷凍庫に閉じ込められたのかと錯覚するような寒さでした。

そして、私はお腹が弱い…。不本意ながらも出先で上着を買うことにしました。自然に逆らって生きる社会で生活するって生きづらいなぁと思いました。駐在に行く前はそんな社会で生活して、冷房の効いた会社で厚手のカーディガン羽織ってお仕事していたはずなんですけど。
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2010年08月08日

選挙の日

また、この日に間に合ったことには大きな意義がありました。海外駐在中は首都に出向かないと選挙の投票にも行けなかったものです。そして、私が在外選挙人名簿に登録されてから帰国するまでの間、投票すべき選挙がありませんでした。駐在し続けていたとしたら首都で投票するはずだった選挙が、この日だったのです。

社宅に住民票を移したばかりなので、投票用紙に書けるのは政党名だけでしたが、それでも政治にひとこと言える機会のようなものがあって、良かったです。田舎の州に駐在している人たちは、実際投票出来なかったでしょう。私たちは区役所で投票してきました。

主人は駐在に行く前から3ヶ月間の海外出張というのを何度か経験しており、その間は日本に住民票があるのに選挙に行けませんでした。仕方なく私が、『若い人に改革して欲しいからそういう候補者に俺の代わりに入れてきて』とか言われて1票だけ投票してきました。本当に夫婦揃って選挙に行けたのが久しぶりだったのです。

海外に住んでいると、特に発展途上国では腐敗した政治に振り回されることも多く、日本の政治への関心が薄れてしまうというのも事実ですが。なるべく選挙に行く機会がある方が良いと思います。
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2010年08月07日

日本でありがちな日曜日

海外駐在中、主人は土曜も日曜も仕事でした。勤務する会社は日曜休みで、一般の事務職の人は来てませんでした。主人は管理職という立場もあって、休めませんでした。会社が近いからまだ良かったかも知れませんが。

もう帰国してきたので、毎週日曜日は休みです。そう言えば、土曜も休みでした!5日働いたら2日も休める。良い話です。但し、社宅住まいでは日曜が労働の日になることがあります。月に1回程度、1世帯あたり1人以上出てきて大掃除する日があります。

通常、自分の引っ越してくる部屋を事前に見学するものですが、私たちの場合はアフリカから戻ってきて間もなくの入居で、選んでいる余裕もないので割愛させて頂きました。管理人を置いていない社宅なので、持ち回りの担当世帯の方とメールで(電話だと時差があるから)何月何日に鍵を受け取りにきて管理費及び自治会費を払いますのでよろしくと伝えていました。

そうやって、鍵をもらいつつ会費等を払いつつ初めて部屋に入るという日が、日曜日でした。その日曜日がたまたま、午前中にみんなで大掃除する日でした。掃除をしていた会社の先輩が主人を見つけて声を掛けて下さいました。『おっ!いい時期に帰ってきたな。日本は最近まで無茶苦茶暑かったんだぞ。』出国時のアフリカは乾季で涼しい時期でした。十分日本って蒸し暑いなぁと思ったものですが、これよりまだ暑い国でしたっけ?

暑い時期に日本を出て常夏のアフリカに住み、残暑厳しい日本に戻ってきた私。長〜い夏がまだ続きます。
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2010年08月01日

役所での手続き

発展途上国で役人と仲良くするには、それが裁判官であっても、賄賂が効果的ではないかと思いますが。日本は日本人が何と自嘲しようと、いい国です。日本の役所の窓口で札束なんて差し出して得られるものは何もありません。

出国する前に、住所地の区役所の住民登録課に届けを出しました。何月何日に出国予定であるか、今後の住所地(国名州名市名までで可)を申告します。その予定の日を過ぎると、区の住民登録から消えます(世界のどこに住もうと、本籍地の発行する戸籍の附票に住所の履歴は記録されています)。

住民登録が消えた人の『住民票』は発行されません。代わりに、以前登録していたことを証明する、『住民票の除票』が発行されます。会社がそれを取得して、引越し荷物の特例で輸出する自動車の関税を免除してもらう書類に添付することになるようです。我が家の場合は主人だけ何ヶ月も前に出国していましたので、残る私が『世帯主』となった『世帯全員の住民票』の中に、出国した記録のある主人の名前と私の名前が載っていました。

会社からは、『除票を提出するように』って言われてましたが、私の住民登録が消えていないので、取得出来るのが、『住民票』だったのです。何度か役所に出向いて、『除票が必要って言われました』『引越し証明書として発行出来る書類はこれだけです』というやりとりを繰り返しました。女の一人暮らし、重労働の引越し荷物作り。不安なことがいっぱいの中、子供の遣いみたいな簡単な用事すらこなせない自分にもどかしさを感じたこと、未だに忘れられません。

役所の方は普通に事務仕事をしていただけのことですが、孤独なプレ駐在妻だった私にとってはつらい思い出の場所の一つです。社宅に戻るので、また同じ役所に出向くことになりました。今度は主人と一緒ですから心強いのですが(私なんて遣いの子供みたいな存在ですね)。

結果的に忘れられない思い出になってますが、出国する時にこの役所で言われたことを忘れてはいけません。『帰国してきたら、パスポートをお持ちになって、またこの課に来て下さい。』くれぐれも忘れませんように…。

パスポートには、日本を出国した記録、アフリカに入国した記録、アフリカを出国した記録、日本に入国した記録が載っています(日付入りスタンプですが)。役所としては、帰国した記録のない人を住民登録する訳にはいかないので、海外から帰ってきたらパスポートを持って来なくてはいけないのです。ようやく『外国人』ではなくなったとは言え、住民登録が済むまではパスポートを持ち歩く生活が続くというお話でした。
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2010年07月24日

あっけないほど一般人

週末に無事帰国して、週明けに主人が報告がてら出社するという予定でした。私たちは家なき子…もとい、家なき大人。実家は地方。なので、上限(1泊1万円前後)はありますが、会社の経費でホテルに泊まれます。帰国が週末だったので連泊出来ました。

私は日本人離れした日焼けし過ぎの肌色と、1年以上美容院に行っていない垢抜けない髪型やオシャレとは程遠いその場凌ぎで詰め込んできた服を着ていることを恥じていました。意外に振り向かれることもありません。安くて便利な場所にホテルを探したため、ごちゃごちゃした下町での滞在、オシャレしなくて大丈夫だったようです。

通行人全員から、『あの人ダサくね?』って指を指されることがなくて良かったのですが、それにしても、誰からも振り向かれません。アフリカでは『白人』と呼ばれる私たち、ガイジン慣れしている彼らも、少なくとも遠慮なくジロジロ見てきたものです。そういう扱いを受けずに町中を歩くというのが久しぶりでした。

急ピッチでしなくてはいけないことはいっぱいありますが、私たちが何を差し置いても最初に行きたかった場所は、お寿司屋さんです。アフリカで回転寿司なんて見かけませんでしたし。新鮮なネタ選び放題という環境もまた、久しぶりなのです。

1皿500円もしないお店でしたが、どのネタも美味しかったです。特に、あまり置かれていない、『山芋うずら』がそのお店にはあって、アフリカ駐在中には一切食べることが出来なかった山芋と生卵を同時に堪能出来たのが幸せでした。その後しばらく、『アレも食べたかったコレも食べたかった』ブームが続くことになりますが。

役所への転入届等、重要な手続きは日を改めるとして、まずは胃袋を満たして帰国したての幸せを噛み締めたのでした。個人差があるようで、垢抜けない髪型を何とかすべく、一時帰国のたびに着いたばかりの成田空港でパーマをかけてもらう先輩マダムもおられたそうです。私は見た目より胃袋が大切だったようです。
ラベル:アフリカ 駐在
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